2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧

文芸復興

昭和十年前後、マルクス主義の退潮によって谷崎、荷風といった作家たちが再び活躍をはじめ、「文學界」「文芸」といった雑誌が創刊されたことなどをさして、いわゆる文芸復興というわけだが、もともとこの言い方は、プロレタリア文学のなかから生まれてきた…

村山知義「白夜」

MAVO時代のやんちゃぶりや、晩年まで描いていた絵本は大好きだったけど、プロレタリア小説家・劇作家としての村山知義は敬遠していた。だが「劇場」に感心したので、有名な「白夜」を読んでみて、やっぱり村山知義はおもしろいと思った。この作品はふつう転…

中野重治「鈴木・都山・八十島」

この作品で主人公田原は、ただどこまでも言葉を添削し、訂正するものとして書かれている。彼は獄中で目にする新聞論説の言葉遣いに苛立ち、看守鈴木が持ってくる詩と短歌を、ていねいに直してやる。後半は、予審判事が読み上げる調書の語句を訂正していく押…

近くの市場へ

おととい、大学の裏手の方角の街並を、久しぶりに同居人やI先生と散歩した。広州自体がかなり猥雑な雰囲気をもったところだが、この一角はそのなかでもちょっと荒々しいような活気にあふれている。広州人ではなく、各地から広州にやって来た人たちが住み着い…

?平(kaipin)の塔楼

上のようなことを考えだしたきっかけのひとつに、?平という小さな町を訪れた時のことがある。?平というのは、広州から南西に100キロほどいったところにある。バスの窓から眺めていると、見慣れた中国の家並の向こうからニョキニョキと幾つもおかしなデコレー…

中国の「短い二十世紀」

一般に「中国革命」と呼ぶとき、それは1911年の辛亥革命にはじまり、49年の中華人民共和国建国で頂点を迎える一連の政治的・社会的変革を指す。一方今月の18日にお会いした汪暉氏は、1976年の文化大革命の終焉までをふくめて、中国における「短い二十世紀」…

私は死んだ日を忘れていたい

田中純の論考(「「英霊」の政治神学」InterCommunication55)を読んでいて、非常に印象的な表現にであった。田中純が橋川文三の本の中から引用しているもので、『きけわだつみのこえ』に収録されている遺書の一部である。(橋川文三「テロリズム信仰の精神…

中野と蔵原

中野が「全体的主体としてのプロレタリアートこそが「主体」なのであって、党はその意志の「表現」である」(栗原)という考えをとっていたとすれば*1、蔵原は党のみが階級的主観を独占できるという前衛主義の立場に立っていた。この蔵原の考えは、(蔵原が…

「一者」の問題

栗原幸夫は福本イズムが24年からのわずか三年間でありながらも、圧倒的な影響力をふるった原因を、福本が、マルクス主義を「一つの全体性思想」として提示しえたことに求めている。福本をとおして日本の若い世代は、マルクス主義を、経済学でも知識の体系…

花田清輝の戦後批判(補足)

花田の、いわば斜めの位置からの左派批判は、二十世紀の戦争が世界戦争でもあったがために必然的にはらんでしまう仮象──すなわち、戦争という極点において全世界が同期する──を撃つものだったといえる。だが現在(脱冷戦期)にあきらかになったのは、日本人…

花田清輝の戦後批判

五十年代の左派ナショナリズムの昂揚に対して、独自の位置からの批判を行っていたのが花田清輝だった。それは二本共産党の公式コースからも、あるいは「近代文学派」などのリベラル知識人とも明らかに異なっている。彼は「現代史の時代区分」で、宮本百合子…

休暇の終り

10日ほどの日本滞在を終えて、広州に帰ってきました。さっそく今週から授業が始まります。

中国革命未だ成らず!

今日は、少人数の会で、現代中国を代表する知識人である汪暉氏(清華大学中文系教授)にお話をうかがうことができた。中国における知識人のポジションや、労働者、農民による抗議運動の意味、文化大革命に孕まれていた可能性など、実に興味深い内容だった。…

ミュンヘン

「ミュンヘン」見てきました。傑作です。「マイノリティ・リポート」を超えて、「A.I.」に迫る出来です。当ウェブをご覧の友人諸兄には、さっそく映画館へ駆けつけることをお勧めします。