中国

座談会「日本と中国の狭間から」より

言論の自由に対する批判のことですが、私がいつも思うのは、与えられた自由な言論空間でいうと、日本は中国より広いです。ただ、日本の自由な空間は、どうも壁のようなものに囲まれていて、押しても押してもなかなか広げられない。一方、中国での空間は狭い…

北京の印象

5日間北京を訪れて、あちこちをぶらぶらしてきた。友人のSさんの家に泊めていただき、Sさんの知人の若い研究者に紹介してもらったり、Sさんの先生に街を案内してもらったり、毎晩遅くまでSさんにいろいろと話を聞かせてもらったり、彼には本当に感謝するし…

システムと多様性

松永正義氏の語録をもうひとつ。今度は「台湾から見た中国ナショナリズム」(『現代思想』2001.3)より。 松永氏は、まず中国の多元性を強調する。民族、言語(これは漢民族のなかでの言語の違いを含む)、文化、遺伝子レベルまで、中国社会はきわめて多様性…

民衆のいないナショナリズム

松永正義「日本における台湾研究の歴史的位置」(『ポスト〈東アジア〉』)より。 七〇年代は高度経済成長の時期で、それにともなって台湾の社会構造が大きく変化する。農業の占める割合が減って、サービス産業が増え、中産階級がふくらんでくる。そうすると…

まったく、同感です。

溝口雄三「日本人にとって中国研究とは何だったのか?」 日本人の多くが中国の「体制」をほとんど日本の空間意識で、感覚していますね。中国では「体制」が隙間だらけで、官僚個人の権限領域つまり「人治」の問題とみなしうることを、日本流の組織的な体制感…

中国、八十年代の思想風潮

賀照田は、自分の知的な歩みをふりかえってこう述べている。 私自身の見聞からいうと、八〇年代中期以降、中国革命と社会主義の実践を否定する空気が、少なくとも北京の大学界では主流を占めた。しかしその空気は、革命と社会主義の歴史に対する精緻な分析に…

「ポスト〈東アジア〉という視座」より

孫歌、白永端、陳光興編『ポスト〈東アジア〉』所収の三人の対談より、印象的なところをピックアップ。 孫歌 正直に言うと、東アジア問題を語るとき、中国をその中に完全な形で放り込むことはできないのです。中国東部の漢民族による儒教地区だけが東アジア…

うたをうたう

ひょんなことから、妻が勤めている大学附属の語学学校で歌をうたうはめに。いや、授業の一環として。100人ほどの生徒を前に、「真夏の果実」を歌ってきた。かなり恥ずかしかった。ところで、たまに語学学校の授業に出ると、ずいぶん学生の顔つきが違うものだ…

越富探検記

前から聞いていた人民北路の越富(yuefu)広場へいってみる。ここにはDVDショップが軒を連ねていると聞いていたのだが、ついてみてびっくり。迷路のようなビルの中にちまちまとしたショップが並び、その半数がフィギュアの店。残りは日本製ゲーム、アイドル…

広州の車窓から

今日は、大学主宰の外国人教師向け日帰り旅行。広州市のはずれにある宝墨園という寺へ。寺院といっても、(中国風に)観光地化された庭園のようなもので、特に何ということもないのだけれど、それでもやはりバスの車窓から眺める路上の光景がなんとも興味深…

なるほど、凄いことなのかもしれない

ざっと斜め読みしただけですが→http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50401721.html

「中国人は基本的に政治闘争しかしない」?

ここの3月7日のエントリーをみて、なんだかな、と思う。別段ここで書かれていることの大筋に異論はない。ただし、「三農問題」(農業・農村・農民)は胡錦涛政権が最初から最重要課題として掲げていたもので、今度の全人代で新しく浮上してきたわけじゃない…

中原昌也を読ませてみたら

今日は大学院の授業で中原昌也を読ませてみた。なにしろ前の日に、同じメンツでプロレタリア文学などという大時代な(?)ものを読んでいるので、少し気分をかえてあげようと最先端(笑)をとりあげることにした。中原昌也などが出てくる日本の特殊文脈が伝…

近くの市場へ

おととい、大学の裏手の方角の街並を、久しぶりに同居人やI先生と散歩した。広州自体がかなり猥雑な雰囲気をもったところだが、この一角はそのなかでもちょっと荒々しいような活気にあふれている。広州人ではなく、各地から広州にやって来た人たちが住み着い…

?平(kaipin)の塔楼

上のようなことを考えだしたきっかけのひとつに、?平という小さな町を訪れた時のことがある。?平というのは、広州から南西に100キロほどいったところにある。バスの窓から眺めていると、見慣れた中国の家並の向こうからニョキニョキと幾つもおかしなデコレー…

中国の「短い二十世紀」

一般に「中国革命」と呼ぶとき、それは1911年の辛亥革命にはじまり、49年の中華人民共和国建国で頂点を迎える一連の政治的・社会的変革を指す。一方今月の18日にお会いした汪暉氏は、1976年の文化大革命の終焉までをふくめて、中国における「短い二十世紀」…

中国革命未だ成らず!

今日は、少人数の会で、現代中国を代表する知識人である汪暉氏(清華大学中文系教授)にお話をうかがうことができた。中国における知識人のポジションや、労働者、農民による抗議運動の意味、文化大革命に孕まれていた可能性など、実に興味深い内容だった。…