五十年代

南博の水脈

読売新聞本日の朝刊「時代の証言者 名画上映 高野悦子(4)によると 高野は46年に入学した日本女子大で、アメリカ帰りの気鋭の社会心理学者南博に出会い、指導教授とする。 先生は個別の課題を与え、私のテーマは「マスメディアとしての映画」でした。「…

「民話」という言葉

どんな小さな図書館に行っても、「日本の民話」といった本は必ずある。シリーズであったりする。棚ひとつを占めていたりする。民話は、地方自治体が経営し、地域コミュニティの核になることを求められている図書館には欠かせないものだと考えられているとい…

亀井勝一郎の歴史意識

亀井「現代歴史家への疑問」を読んでいて思ったことをメモ。 ○「皇国史観」と「唯物史観」(というかある種のマルクス主義的な歴史記述の方法)が、「典型的人物」に依拠している点で相似しているという指摘。 ○しかし、亀井は「典型的人物」という考え方自…

黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』

軽い気持ちで観出したのだが、すっかり夢中になってしまった。クロサワが世界の巨匠であるのは建前上否定はしないにせよ、日本のシネフィルや研究者のあいだで黒澤は敬して遠ざけられているような印象があるのだが実際はどうなのだろうか。確かにこの映画で…

吉本隆明の言説戦略

昨日は大学院の授業で林芙美子『放浪記』を読んだ。小林秀雄やベンヤミンをサブテクストにして、大正末期から昭和初頭における、人々の経験が根こぎとなり、個人が解体していくさまを説明したのだが、話しながら少し気づいたことをできるだけ簡単に。林芙美…

花田清輝の戦後批判(補足)

花田の、いわば斜めの位置からの左派批判は、二十世紀の戦争が世界戦争でもあったがために必然的にはらんでしまう仮象──すなわち、戦争という極点において全世界が同期する──を撃つものだったといえる。だが現在(脱冷戦期)にあきらかになったのは、日本人…

花田清輝の戦後批判

五十年代の左派ナショナリズムの昂揚に対して、独自の位置からの批判を行っていたのが花田清輝だった。それは二本共産党の公式コースからも、あるいは「近代文学派」などのリベラル知識人とも明らかに異なっている。彼は「現代史の時代区分」で、宮本百合子…