吉澤誠一郎『愛国主義の創成 ナショナリズムから近代中国を見る』

a なかなかおもしろい本だね。筆者の吉澤誠一郎は、俊英といってもいいのだろうけど、決して大向こう受けをねらうことなく、堅実に実証をつみあげて、近代中国のナショナリズムの誕生を幾つかの側面から考察している。
b おどろくべきビジョンを一気に描き出す、といった本ではないけど、確かに中国なりの国民意識の成り立ちは見えてくる。僕は、中国というのは幾つもの色彩のことなる糸が幾重にもからまりあった巨大な毛糸玉じゃないかという感じがしたな。大きくちがった文化や習慣が混在しながら、それらはかえって緊密にむすびついている。
a それを示すのが第2章、アメリカでの華人排斥や差別意識が、中国としての一体感を醸し出していくさまを叙述する部分だね。1905年にアメリカへのボイコット運動が行われるんだけど、そこで主なアクターとなるのは、業種や出身地別に組織されていた商人団体だ。ここに学生や知識人のグループが加わる。これはのちの五四運動と同じパターンだ。
b 中国は一般に地域ごとのまとまりがつよく、それらの諸地域が熾烈に競合している、といったイメージで語られる。よくある中国分裂待望論というのも、そういう思い込みからでてくるものだよね。だけど、出身別の団体がそれぞれの地域に自足しているわけではなく、むしろ異郷にネットワークをひろげているということが重要だ。たとえばこの本でいうなら、ボイコットが始まる当時、上海の商業界には寧波幇、福建幇、広東幇といった勢力が存在していた。
a さらにそうした出身地によるつながり自体が、異郷でこそ形成されたものだともとれることが書いてあるね。

移住が盛んであるとき、移住先で同郷のよしみに基づく協力関係がかたちづくられることは、ごく自然ななりゆきであろう。移住の過程からいえば、すでに移住したものが自己の郷里近辺から後続車をつのることで、移住という現象そのものがすすんでいくことになる。そのような同郷者が、移住先に会館、公所と呼ばれる建物を設けて、強力の場とすることもしばしばだった。

同郷心がつよいから結束するわけではなくて、異郷にいるからこそ、同郷というアイデンティティが生まれるわけだ。これは、貨幣史の黒田明伸などと一緒で、中国社会の伝統的な流動性の高さに着目する観点だね。
b だからこうした「同郷」による結束というのを、地域で求心的に閉じていくのではなく、
はんたいにコミュニカティブに異なる土地を結んでいくものだと考える必要がある。僕が、からまりあった毛糸玉というイメージがわかってくれたかな。
a それに関しておもしろいのは、清朝帝国の地方統治のありかただ。

中央の官僚がその版図をすみずみまで綿密に統治していたという状態を脳裏に描くとすれば、それは誤った印象である。清朝の場合、各県から中央に派遣される官はふつう数人、場合によっては一名だけであり、これら官僚は、胥吏などの役人が地元の権益のなかで活動しがちなのをなんとか使いつつ、地元の有力者の強力をあおいで、ようやく行政を進めることができた。(略)かりに社会階層の隅々までが、よく統制されていたかを問うならば、「封建」制にたとえられていた徳川時代の日本の方が、きちんと統治・管理されていたと考えた方が、どちらかといえば妥当であろう。

帝国の統治というのは、社会のずいぶん浅い層にしか及んでいないということだね。ほんとかどうかは知らないけど、通俗的なイメージだと、地方に派遣された中央官僚というのはろくに仕事もせず、豪華な宴会や美女にうつつをぬかすばかりという印象があるじゃない。いや、カンフー映画なんかに出て来るお役人のイメージだけど(笑)。だけど、県にひとりとかだったら、毎日接待されるくらいしか仕事もないかもしれないね。いや、そうして神輿としてかつがれて、顕示的消費をすることこそ大事な仕事だったかも。
b 中国が雑色の毛糸玉なら、日本ははっきり色分けされたジグゾーパズルのようなものかな。とにかく、藩ごとにかなり高度な行政・管理体制があったことは確かだよね。
a 権力が直接下層まで浸透するという点では、まちがいなく日本の方がすすんでいるし、それが直接地域に根付いた権力によって行われていることも大きいと思う。もちろん江戸期に高度な商品経済や流通組織が発達していたことはいうまでもないけど、地域としての自律性という点では日本の方がはっきりしてたんじゃないか。そしてその地域性ごとの閉鎖性を越えて国家観念を獲得するために、天皇というシンボルが持ち出される。
b そこで革命運動を担ったのが、支配層である武士階級であり、そのなかでも反権力から離脱したアトム的個人だった。彼らのつくり出した「国家」は、個別の「くに」をのりこえる超越性をともなっている。それにくらべ、そもそも中国ではそういう意味での支配階級というのがいないね。革命の主軸は、開明的な商人層だったといっていいのではないか。どうもこの階層のちがいが革命の性格も大きく規定しているような気がするのだけど。維新の元勲がきわめてプラグマティックな思考様式をもちながら、明治国家がきわめて超越的な要素をもちながら成立してしまった事実を考える上でも。
a 日本では国家意識は、まずは武士階層が獲得し、それを暫時下層に及ぼしていくという過程がとられたけど、中国ではそうではないらしい。

この後、北京の中央政権の実行統治が弛緩するにもかかわらず(あるいはそれゆえに)、様々な愛国運動の高揚が進展することになる。この点で、たとえば日本やフランスで、中央政府の施策を大きな動因としつつ均質な国民形成が志向されたのとは異なっていると言えそうである。

実際、フランス革命明治維新では、パリや京と江戸といった中心都市で権力が奪取され、一気に強大な中央権力が成立するわけだけど、辛亥革命というのはそれとはまったくちがう経過をたどるわけだよね。吉澤は、中国意識の高まりが、本籍地アイデンティティを弱めたわけではないといっている。逆に、同郷関係の活性化が、愛国運動を支えたのだと。なんか中国で暮らしていると、思わずここでうなずいてしまうわけね。