T__さんへの手紙

Tさん

僕の日記をおもしろく読んでくださったそうで、とても嬉しく思います。文字通り三日で凝固してしまった、このような脳死blogは、友人にすら恥ずかしくて紹介できないと思っていたので。
Tさんは、自分の授業に出てくる中国人留学生の素朴な親切、細やかな心遣いについて書かれていましたね。そこから、留学生たちと親しくつきあうようになったとも。確かに、そういうところはあるのかもしれません。中国の学生はまだ普通に「教師」を尊敬していますし、人間関係において、日本的な「照れ」がない。それから、親しい留学生たちがどこの出身であるかを聞いてみるとおもしろいかもしれません。南方と北方、また上海などの中部では、あきらかに性格や対人関係の型が違います。そして、水をむけるとすごい勢いで、他の地域の人間の悪口を言い出します(笑)。こちらの子たちと接触していて感じるのは、自分も含めていかに日本の若い世代が骨の髄までシニシズムに侵されているかです。経済状況の非常にいい広東にいるということがあるのかもしれませんが、こちらの人たちは基本的に明るく、シンプルだという印象を受けます。日本の、あの閉塞感はなんなのだろう、という感じです。実際には中国も問題が山積みで、日々それらを実際に目にし、耳にすることができるのですが。あと、まだ大学生がエリートであるという感覚が残っているせいか(崩れるのも時間の問題ですが)、学生は感心するほどよく勉強します。ただ、これは善し悪しですね。学生は(教師も)同じ敷地に住み、ほとんど同じ授業に出、いつも一緒に行動しているわけで、高校の延長のようなものです。異質な人間と出会う機会がないし、勉強ばかりしていて、自分で映画を作ったり、演劇をやったりする発想や自由がない。だから、すごく幼く見えます。キャンパスを一歩出ればうずまいているもの凄い現実と、彼らがどのように接触しているのか(接触していないはずはない)、というのが僕の興味の焦点ですが、まだ今ひとつわかりません。
留学生については、友人から聞いたおもしろい(同時に痛ましい)話があります。彼は、ある日本の地方私立大学につとめているのですが、大学の立地環境が、彼によると本当に何も無い文化砂漠のようなところだそうです。都市しか知らない人間にはわからないが、田舎には文化など何も無く、その上お決まりのネオリベ・郊外化の波だけが浸透し、ファミレスと量販店だけが栄えるジモトにヤンキーばかりが滞留する状況になっているらしい。で、彼のところに何人か中国人留学生がいて、ちっとも授業に出てこない。なぜかと問いつめると、アルバイトのため、片道二時間かけて市街に出なければいけない、帰ると疲れて起きられなくて、と答えたのですね。思わず責める言葉を失ってしまったという。日本の「下流」の若者とグローバリゼーション下の中国人は、こうして岡山の山奥で出会っているのです。おそらく、カラオケボックスやコンビニのスタッフルームで。いかにも、現代を象徴する話だと思いませんか? 本当はこうしたところから、日中交流が始まらないといけないと思うのですが。

それでは、また。何かおもしろいことがあったら教えてください。浩瀚ディドロ論の完成を楽しみにしています。できあがったら、ぜひ読ませてください。