彼らの「今」と僕らの「今」

日記の更新がすっかりご無沙汰になってしまいましたが、久しぶりに、どうしても書かなければと思うことがありました。

まずはこの画像をみてください。焼け焦げた少年の死体がバラバラにちらばっている迷路、遺体の身の丈にあった棺を探すゲーム、空爆前と後の街並を並べたまちがい探し。なんともブラックで残酷なジョークです。不謹慎だとさえいえるかもしれません。だけど、これが現在のベイルートに暮らしているレバノン人によって描かれたものだと知れば、絶望的な状況のなかで希望を手放さないための悲痛で、しかし強靭なユーモアだとわかるはずです。
このイラストは、レバノン人アーティストmazen kerbajさんのブログKERBLOGに掲載されているもののひとつです。僕はこのサイトの存在を、最近一番気を入れて読んでいるイルコモンズさんのブログで知りました(このブログはすごくおもしろいのでおすすめです)。mazenさんは、イスラエル空爆が始まった7月12日以降今まで、170枚以上に及ぶイラストをアップして、リアルタイムのレバノンの様子を綴っています。

次のイラストは空爆が始まった当日の夜にアップされたものです。「午前4:51 爆発が近づいて、一人また一人とテラスへでて、どこから爆音が聞こえるのだろうと耳をすます」

「7月15日から16日の夜 テレビ「ニュース」、ウイスキーオン・ザ・ロック、ポーカー、外では、ロックンロール。つまりそういうこと」

7月16日「〈message in a bottle〉
レバノンと海外の親愛なる友人と家族へ
毎日、何トンもの応援のEメールをありがとう。僕らは本当に君たちの注目を必要としているからね。
できるだけ返事は書くつもり。だけど似たような質問も多いんだ。中でももっとも多い質問はこれかな。
「私たちに何ができるの?」
答えは「話すこと」
ここで起きているひどいできごとを、家族に、友達に、見知らぬ人に話してくれ。バーで、レストランで、道端で話してくれ。
みんなに話しかけてほしいんだ。ビルにだって話しかけてほしいくらいだよ。ここにいるとね、世界の誰も気にかけてやしないって思ってしまうんだ。黒焦げになった子供の死体のことなんかね。」


「うちのママは第二次世界大戦のときは10歳だった。
1975年の内戦のときは45歳。
今、75歳。
〈ねえ、私、次の戦争には間に合うかしら〉」

mazenさんは、8月5日にこう書いています。
「「ウェブティファーダよ、なすがままに進め」
親愛なるみんなへ
 この「ウェブティファーダ」というコンセプトには何か特別なメッセージがこめられてるように思うかもしれない(でも言っておくけど、この言葉は、僕をしばるものではないからね)。みんなもよく知ってるはずだと思うけど、僕の頭はすっかり混乱してしまって、ここ数日に起きたことを、きちんと把握できてない。いったい何をすればいいのかも分からない。日ごろ、何に対しても懐疑的なことで知られてる僕だけど、でも、このネットにつながってる世界中の人たちと何か一緒にやれるんじゃないかという気がしてる。それが何かに異議を唱えるものかどうかは分からない。普段の僕は署名をしたりしないし、そんなもの信じてもいない。それより何かもっとましなことがあるはずだけど、それがなにかは分からない。それはともかく、この「ウェブティファーダ」を実現させるのは、君たちだ。
僕はただひたすらアップを続け、この問題について何かいいアイデアがみつかるように、コメントのための場を提供してゆくつもりだ。僕はこのサイトが人に何かインスピレーションを与えるものとして使われることを望んでいる。なにしろ、ここには大勢の人たちがつながってるからね。僕はここにきてようやく多くの人たちが、レバノンというのはラクダにまたがった人たちが朝から晩まで飲み水を求めてさまよってる砂漠の国ではないのだ、ということを理解し始めてくれたような気がしている。これから僕は自分がやるべきことをやり続けるので、どうか君たちも何かはじめてみてほしい。くそったれ、へこたれるもんかと、自分にできるところまで、僕らは抵抗するつもりだ。」(翻訳:イルコモンズさん)

Guanzhou Lettersも、このウェブティファーダへの参加を宣言します。といっても、こうやってKERBLOGを紹介したり、自分でも見に行ったりするだけですけど。このブログを読んでくださっているみなさんも、できたらKERBLOGを自分のはてなアンテナに登録したり、人に教えたりしてください。僕はここをポータルサイトにしました。もうすぐ国連の停戦決議が受け入れられると言うけれど、それで戦争が終わるのかどうかはわかりません。ベイルートの上空を戦闘機が飛び、KERBLOGに矢継ぎ早に現況がアップされる限りウェブティファーダはつづきます。
僕がKERBLOGを見ながら考えていたのは、僕たちの「今ここ」とmazenさんの「今ここ」はどうつながっているのだろうということでした。イラク戦争の頃から、ネットを通して色々な映像や音声や言葉が、皮膚一枚の身近さでもって、やってくるようになりました。僕がPCに向かっているこの瞬間に、爆弾が落ち、人が死んでいるのかもしれず、mazenさんもきっとブログを書いている。それは遠近法がむちゃくちゃになるようなちょっと不思議な感覚です。何が近くて何が遠いのかよくわからない。苦しいような辛いような、それでいてどこかが麻痺しているような。
だからといって、僕は「死んでいくベイルートの子供たちのことを考えろ!」というようにヒステリックに叫び立てたいわけではありません。それでも僕たちはご飯を食べたり、仕事に行ったり、昼寝をしたりしなければならないのですから。そしてベイルートに限らずあらゆる場所で、今日もあらゆることが起きています。だけど、僕らの生活にはいつのまにか、もう複数の「今ここ」が入りこんでしまっているので、それらと一緒に生きていかなければならない、そのためのやり方を見つけなければいけないと思うのです。
ウェブティファーダって、たぶんそんなことです。