{戦後}上の補足

では金水敏氏がブログで触れている「ギャル語」「○○(相手の名前)、最近、にきび減ったくない?」はどうか? これはメディア上で流通している何らかのキャラクターに基づいた発話というわけではないだろう。しかし、現実の交友関係の中での感染と同時に、メディアで再帰的に増幅されたコギャル(死語)らしさに漠然と誘導されている可能性はあるだろう。つまり実際の発話というのはつねに偶然的な乱れとともに、一定の傾向性(この「だりー」感じを伴わせたい、とか)に従っており、そこにあらためてメディアからのナヴィゲーションが加わる、と。サブカルチャーの想像力というのは、表象レベルでの水平的な組み替え(いわゆるデータベース)のみに依存しているのではなく、こうした現実の身体におけるイレギュラーと象徴的なコード上での変換とのあわいから汲み上げられているといえなくないか?