「神道」は日本の文化の中核ってさ

すっかり更新の間があいてしまった。久しぶりに「日記を書く」画面を開いてみたら、なにやらはてなのフォーマットがかわっているし。
リハビリのつもりで軽い話題。
卒論の口頭試問の会場を覗いてみる。別段出る義務はなかったので野次馬のつもりだったのだが、いきなり二本論文を渡されて、質問をする事に。論文のテーマはそれぞれ、日本文化における「ネーミング」の意味(これもよくわからない主題ではある)みたいなのと、現代社会と神道みたいなもの(正確な題名は失念)。とにかくのけぞりそうになったのは後者で、日本文化の中核は神道である、といきなり大上段にかまえて、経済発展の土台に神道思想があったときた。だけど、神道経済」(爆)なんて用語の飛び出すわりには内容はすかすかで、物質中心の西洋思想に対し、精神性や自然との調和を大切にする東洋思想が日本には根付いていてうんぬんかんぬんというお決まりのコースへ。神道と言っても、戦前の国家神道と現在ではまったく社会的役割が違うのでは、と質問したのだが、「すみません、神道についてはくわしくなくて」とあっさりかわされ(?)てしまう。つうか、神道についての論文だろ!
まあたどたどしい日本語で一生懸命しゃべる学生を見ていると、自分が意地悪しているような気になってしまうのですぐに解放してあげた。優しすぎたか。
しかし彼女に限らず、学部生レベルだと、日本のイメージがあまりに紋切り型であることに唖然とすることがある。それこそフジヤマ・ゲイシャとたいしてかわらない。語学中心でそれ以上の余裕がないこの学校のカリキュラムに問題があるとは思うものの、しかし一応日本語科の学生なんだし。
大きくいうと、中国からみる日本の遠さを感じる。彼女たちの多くは、おそらく日本語を活かして日系企業に就職する。けれど目の前の企業や日本人は見ていても、海の向こうの日本という地域には目が向いていない。日本語科に関しては、華南有数の名門校とされているここですらそうなのだ。でもこれからそれじゃまずいでしょと思う。中国の国際的プレザンスがあがるにつれて、ますます周辺諸国に対する理解の蓄積が必要となる。日中関係がどうなるにせよ(悪くなるからこそ)、まともな日本研究者が不可欠になると思うのだが。