「国体」という観念

(昨日のつづき)
「国体」というものが、大きくいえばこの天皇制権力のきわまりなき無窮性・国民の生の空間すべてを包摂するまでの全体性を指示するものだったとしても、ではこの言葉が正確に何を意味するのか、を明瞭に述べることができたものはまれだろう。「国体明徴」といった言葉が、あれほどかまびすしく叫ばれた当時にあっても、である。「国体」は神聖であるがゆえに無意味であり、だからこそ、あらゆる意味を吸収できた。いや、いっそ意味というより、国民が天皇に向けるあらゆる感情や祈念を集約できたのだ。
しかしここで重要なのは、この国体という観念が、呪術的なものでも封建的なものでもなく、あくまで近代固有の観念だというところだと思う。それはむしろ法学的であり、あらゆる法的観念は神学に起源を持つとシュミットがいうような意味で、宗教的である。国体の根拠は明治憲法に明記された天皇の絶対性、さらにそこから派生するところの教育勅語軍人勅諭といった帝国日本を規定した第一級文書群にある。先に見たように、天皇というのは強大であるとともに、何ものも決定しない無のようなものである。それは世俗的な国家機構の枠内に収まりきらない。この剰余(無)の部分から国体観念が生い育つのであって、それはほとんど超越的で神学的な権力として想念される。事実、具体的な政治権力、さらに生物学的・個人的限界を持った現実の天皇個人さえも超越してしまう。
橋川文三は、戦争の末期、「自分たちが死ぬことのできる究極の根拠が天皇にある」と思っていたと語っている(「戦争責任を明治憲法から考える」)。僕はこの言葉が、「若干のニヒリズムを含んだ神秘主義とでもいう」べきものという語が付されていることによって、当時の若きインテリ層の精神史のすぐれた証言になっていると思う。彼は当時から自分の天皇観が、ある種の苦し紛れの神秘主義であり、蒙昧主義ですらあるとシニカルに考えていただろう。しかし、強制される死が逃れがたい状況下では、これしかないのだと思い詰めてもいただろう。その意味で彼もまた、国体に憑かれた愛国者のひとりだった。国体はそのようなものとして人を掴んだのではないか。そしてまた、死を根拠づけることのできる思想は、いずれもいくぶんか神秘主義であるだろう。
個人の死という個別で絶対的な出来事に、全体的な意味付けを与えること、これは近代国家の神学的な機能である。日本ではそれが国体という形で、つまり特異な個人の身体と悠久の時の流れが交差する天皇という一点で極限まで昂進した。この状況が、ある種の人間にいかに決定的なものとして受けとられたかを知るには、やはり青年将校の中心人物だった磯辺浅一の手記を見るにしくはない。御心に従って(と彼らは信じていた)決起を強行した叛乱者たちが、天皇に裏切られたと知ったのちの呪詛を綴る手記は、橋川もいうように「ヨブ記」を思わせる異様なテンションに満ちている。刑死していく彼らにとって実際天皇は「沈黙せる神」にも似た存在だったわけである。単に彼らが殺されるのをむざむざ傍観したからだけではない(それどころか、彼らの死は天皇の意志の正確な帰結だった)。この国に生きるものすべての生と死が、天皇によって総攬されていないという事実は、決して起こりべからざること、この世界で可能な悲惨事の極を超えている、と感じられたのだ。ここには、日本の思想的風土には稀な、超越性の感触がある。

一、天皇陛下 陛下の側近は国民を圧する漢奸で一杯でありますゾ、御気付キ遊バサヌデハ日本が大変になりますゾ、今に今に大変になりますゾ、二、明治陛下も皇大神宮様も何をして居られるのでありますか、天皇陛下をなぜお助けになさらぬのですか、三、日本の神々はどれもこれも皆ねむっておられるのですか、この日本の大事をよそにしている程のなまけものなら日本の神様ではない。磯部菱海はソンナ下らぬナマケ神とは縁を切る、そんな下らぬ神ならば、日本の大地から追い払ってしまうのだ、よくよく菱海の言うことを胸にきざんでおくがいい、今にみろ、今に見ろッ

何にヲッ! 殺されてたまるか、死ぬものか、千万発射つとも死せじ、断じて死せじ、死ぬることは負ける事だ、成仏することは譲歩する事だ、死ぬものか、成仏するものか

ここにあるのは、国民的〈死〉という全体性に包摂される可能性を奪われたものの、絶望と憤怒の叫びではないだろうか。彼は死んでもやすらうことはできず、怨霊として永劫に生き続けねばならないわけである。
さて、すでに述べたように、戦後天皇制はこの超越性としての国体のレベルを切り捨てることによって生き延びた。むろん、戦前でも国体観念が切実なものとして感じられたのは、生の根拠を求めているような一部のインテリ層だけであって、例えば庶民や一般兵士の多数にとって天皇はまたまったく別の存在としてあらわれていただろう。だから、この奇怪な国体観念こそが侵略戦争の元凶だったとするような単純化にはむしろ反対だ。だが、戦後天皇制の特徴は、神学的レベル、宗教的意味をみごとに「なかったこと」にしてしまい、より日常的で卑近ともいえる再生産の領域、性や家族にまつわる部分に存立基盤を求めたことにある。
例えば三島はもちろんこの神学の不在をこそ告発したわけだが、興味深いのは、戦後最大の不敬小説、大江の「政治少年死す」と「風流夢譚」とそれについての右翼の反応かもしれない。これについては、いずれまた。