「カビリアの夜」

テレビをつけると白黒映画をやっており、しばらく眺めているうちにフェリーニの「カビリアの夜」だと気づく。1957年。ローマの娼婦カビリアとその周りのチンピラ群像。野方図だけどけなげでもあるカビリア、騙され、踏みつけにされるカビリア。なんともグッとくる作品なのだけど、ひとつ思いあたったのは、当たり前だがイタリアも敗戦国であり、独自の「戦後復興」があったのだろうな、ということだった。例えばカビリアの家がある場所というのが、原っぱのような場所にちょぼちょぼと近代建築が立ちかけ中という荒涼とした空間で、おそらくはローマでも戦火からの回復と都市化への対応のため、大規模な郊外開発が行われたのではないかと。または、下層階級へのカソリックの浸透具合とか、どこか戦争後の社会変動を感じさせる。ここに出て来るカソリックというのは決してカテドラルに象徴されるような、伝統的大宗教ではなく、もっといかがわしく生き生きとした民間信仰だ。とすると、当然、溝口健二の遺作である56年の「赤線地帯」に連想がいくわけで、京マチ子演ずるアプレ・ゲールと、ジュリエッタ・マシーナカビリアを比較してはどうかなどと考える。ところで、それにしても、「にがい米」や「カビリアの夜」でキャリアを始めながら、リドリー・スコットの「ハンニバル」とかまで撮ってしまう御大ディノ・デ・ラウレンティスというのも映画界の怪物やね。