村山知義「白夜」

shiku2006-02-28

MAVO時代のやんちゃぶりや、晩年まで描いていた絵本は大好きだったけど、プロレタリア小説家・劇作家としての村山知義は敬遠していた。だが「劇場」に感心したので、有名な「白夜」を読んでみて、やっぱり村山知義はおもしろいと思った。この作品はふつう転向小説の代表としてとりあげられることが多いが、実際には「転向」という体験についての心理的・思想的記述にその魅力はないと思う。それよりも、例えば純真で子供っぽいところのある女主人公が、真剣な別れ話をしている最中に、自分がいった「掃除人夫」という言葉にはしゃぎだして「いいえ、掃除人夫じゃない、真空求塵器だわ!」などと興奮しだすところなどに現れていると思う*1。村山はそうしたちょっとしたそぶりから、人物の横顔を描き出すのがとてもうまくて、その生き生きとした感じがプロレタリア文学ではほとんど払底してるような、語りのおもしろさと結びついている。(「劇場」でも、左翼演劇の現場からふっと姿を消して銀幕のスターになってしまう若い女性や、その女性に憧れながら下積みをつづけている少年の興奮やめまいの感覚が生き生きと描かれていて感心したのだった。)でもこの生き生きとした感じが生み出す軽さは、プロレタリア文学の中におかれると通俗的にみえるものかもしれなくて、当時、どう思われていたのだろうという気がする。しかしこのような過剰な観念性ともニヒリズムとも無縁の作家は、アナキズムからプロレタリアに至る流れの中では貴重だと思う。

*1:この作品はほぼ村山の実体験に基づいていて、主人公が恋する批評家のモデルは蔵原惟人だそうだ