プロレタリア文学

「日本浪漫派批判序説」より

単に人民文庫と日本浪漫派が転向というひとつ枝から分かれてきたものと見るのではなく、プロレタリア文学運動自体が、大正末期昭和初頭のデカダンスに起源を持つ、という視点をもっとも強く主張しているのは、橋川文三であるように思われる。とりわけ、文芸…

問題点

ある若者が、社会変革の必要性、マルキシズムへの牽引を感じたとしても、なぜ彼は芸術面では通常作家、政治面ではマルキストというふうにふるまうことはできなかったのか。 いわゆる同伴者作家に限らなくても、社会主義への必然的な移行を認めつつ、自分はマ…

中野重治「汽車の罐焚き」

この作品がナルプ解散前に書かれていたら、蔵原惟人もプロレタリア作家の「労働の嫌悪」を嘆かないでもすんだだろう。 しかし、この作品は生産現場をもっともヴィヴィッドに描いた傑作であるとともに、プロレタリア文学理論への批判にもなっている。 この作…

「労働の嫌悪」

蔵原惟人は「芸術的方法についての感想」1931,9,10)で、プロレタリア作家における執拗な「労働の嫌悪」について書いている。 これに関連して指摘しておかなければならないのは、日本のプロレタリア作家たちがほとんど人間の労働を描いていないということだ…

新人会

新人会世代で知的エリートの社会的自意識が変化しているということ だいたい、文学者や知識人というのが、ナンバースクール→帝大というほとんど同窓会的な集団になったのはいつからだろう。大正文士も帝大出身者が多いかもしれないが、明らかに立ち位置が違…

太宰と高見

2月28日のエントリーに、高見順の「嗚呼いやなことだ」が太宰治を連想させるという意味のことを書いたが、平野謙が「高見順の『故旧忘れ得べき』ころの作風と太宰治の『道化の華』ころの作風とが多少似ていたのは事実である」と書いているのに気づいたの…

大正と昭和

中村光夫「佐藤春夫論」(「昭和十年前後」より再引用) 昭和文学の大正のそれとのちがひは、一口に言へば、作家が自分の個性を絶対視できた時代がすぎ去って、彼の表現がいつも他者を意識しなくてはならなくなったことです。この他者は作家にとって二つの形…

本多秋五「蔵原惟人論」

プロレタリア芸術運動が、むしろ芸術上のアヴァン・ギャルドに源流を持つ、という本多の説。確かに考えてみる必要はあると思える。 プロレタリア芸術運動は、その担当者からいうも、その内容からいうも、プチブル・インテリゲンチャの革命的芸術運動だった、…

平野謙

前準備のつもりで、平野謙の『昭和十年前後』。 これがすごくおもしろい。まじでやばい、と思いつつ、しかし平野謙を本気でおもしろがっている自分の方がやばいだろう、と気づく。自分もついに(昭和文学)オタクになったかという気持ち。どちらかといえば、…

島木健作『生活の探求』(2)

駿介にとって、志村以上に手痛いのは、生活上の恩人であり、パターナリスティックな地主でもある上原の批判だろう。上原は、勉強をしたいという駿介のために色々と骨を折ってきた経緯があるにもかかわらず、学業をやめて農民として働きたちという駿介の希望…

島木健作『生活の探求』(1)

当然とっくに読んでいるべきだった『生活の探求』を、ようやく読み始めた。その感想を同時並行で書いてみる。もちろん、この作品は、いわずとしれたもっとも(悪)名高い「転向」小説だ。その主調線は、ほとんど冒頭の部分にはっきりとあらわれている。 彼は…

「方法論的総合」

平野謙は『近代文学評論体系7』の「総説」で、昭和五年を絶頂とする「いわゆる三派鼎立的状況」が、昭和七年から十年にかけてひとつのサイクルを終えた、と状況の分析をしている。もちろんそれは、プロレタリア文学の沈降のせいだ。平野は、福田清人が川端…

プロレタリア少女小説?

忙しくて三日更新を休んでしまった。ウイークデイは、授業、準備、その他とあわただしく、特に水、木は綱渡りで時間をやりくりしている感じになる。それでも少しずつ時間を盗んで、三一書房の『プロレタリア文学大系8』に収められている小説を読む。この巻…

文芸復興

昭和十年前後、マルクス主義の退潮によって谷崎、荷風といった作家たちが再び活躍をはじめ、「文學界」「文芸」といった雑誌が創刊されたことなどをさして、いわゆる文芸復興というわけだが、もともとこの言い方は、プロレタリア文学のなかから生まれてきた…

村山知義「白夜」

MAVO時代のやんちゃぶりや、晩年まで描いていた絵本は大好きだったけど、プロレタリア小説家・劇作家としての村山知義は敬遠していた。だが「劇場」に感心したので、有名な「白夜」を読んでみて、やっぱり村山知義はおもしろいと思った。この作品はふつう転…

中野重治「鈴木・都山・八十島」

この作品で主人公田原は、ただどこまでも言葉を添削し、訂正するものとして書かれている。彼は獄中で目にする新聞論説の言葉遣いに苛立ち、看守鈴木が持ってくる詩と短歌を、ていねいに直してやる。後半は、予審判事が読み上げる調書の語句を訂正していく押…

中野と蔵原

中野が「全体的主体としてのプロレタリアートこそが「主体」なのであって、党はその意志の「表現」である」(栗原)という考えをとっていたとすれば*1、蔵原は党のみが階級的主観を独占できるという前衛主義の立場に立っていた。この蔵原の考えは、(蔵原が…

「一者」の問題

栗原幸夫は福本イズムが24年からのわずか三年間でありながらも、圧倒的な影響力をふるった原因を、福本が、マルクス主義を「一つの全体性思想」として提示しえたことに求めている。福本をとおして日本の若い世代は、マルクス主義を、経済学でも知識の体系…