イアン・ワット『小説の勃興』

大学図書館をぶらついていたら、イアン・ワットの小説の勃興があったので借りてきて読んでいる。なにしろこうした欧米の理論書が、それも日本語の翻訳がおいてあるのは稀なのだ。実はだいぶ前に原書: The Rise of the Novel: Studies in Defoe, Richardson and Fieldingを買ってはいたのだが読んでいなかった。そして翻訳が出たことも知らなかった。英米文学の人にとっては一度は手に取る古典なのだろうし、それ以外の人にとっては、イアン・ワットって誰?ってことになるのかもしれない。五十年近く前に出た本だ。斬新な理論が紹介されているわけでも、現代風の論調がみられるわけでもない。けれど、小説の起源や形式に関心がある人間なら、やはり何度も味読する価値のある名著だと思う。たとえば私たちは、小説は「市民階級の叙事詩」である*1といった通念を軽い気持ちで口にしてしまう。だがワットは、デフォー,リチャードソン、フィールディングを例にとって、その実際の経緯を具体的に、説得的に説明してくれる。それはつまりブルジョア階級なるものが、忽然と出現するはずもなく、それにともなって「小説」がゼロから生まれたわけではないということだ。例えば十八世紀の半ばまで基本的に知識階級*2のためものだった文芸は、読書の能力が拡大するにしたがって商店主、自営商人、行政官、事務職員といった人々の手に届くものになっていく。しかし一部の上層部を覗けば、それは労働者とは関わりがなかった。彼らはまず余暇がなかったし、家族を一週間養える金を出して、小説を買おうと思うはずもなかった。しかし、労働者の中でも特別な一群があったとワットはいう。それが年期奉公人と召使いだ。「通常召使は本を読む時間と照明をもつことができた。家の中にはしばしば本があったし、なくても、食事と宿泊にお金がかからなかった(…)また、年期奉公人と召使という階層はいつの時代でも目上の人たちの手本に格別染まりやすい階層なのである」。そしてリチャードソンの女主人公パメラが、勤め口に「読書する少しの時間」を要求するところを挙げて、彼女が「文学好きの侍女たちからなるきわめて強力な集団の一種の文化英雄」として受けとめられたと推測する! ワットは読者層が教養階級から中産階級へ劇的に転換した、というような粗雑な記述をしない。そのかわり、あらたな社会集団が比較的小さな割合を占めるにせよ、読者層の重心位置をかえ、徐々に文芸作品の組成をかえていったと考える。(僕も含めて日本文学者は、「文学」が基本的に西洋由来のものであるために、ある時点で日本に小説が誕生した、という発生史観をしばしば語ってしまう。)その結果、ギリシャ・ラテンの古典文芸との関連で現在の作品も評価する教養のコードが衰退し、より平易な愉しみが求められるようになる。これは同時に芸術の商品化の過程でもあった。次のような記述もおもしろい。「作家が庇護者や文芸の選良たちの基準を満たすのを一番の目的としなくなると、ほかの配慮が新しく重い意味を持つようになった。そのうちの少なくとも二つを作家はしつように配慮する傾向が生まれた。一つは、類語反復的に平易な書き方をすれば、教育レベルの低い読者も容易に理解できるだろうということ。二つ目は、報酬を出すのがパトロンではなく書籍販売業者だから、スピードと分量がもっとも経済的価値を持つということである」。韻文にかわって散文が文芸の主役に躍り出るためには、こうした下世話な事情も(散文の方が、早く、たくさん書ける)関わっていた。また読者層に加わったあらたな勢力の代表のひとつは、家で暇をもてあましていた女性たちである。彼女たちは男のする仕事からは排除され、ピューリタン的な観点からは好ましくない娯楽にふけるのもためらわれた。さらにパンやビール、ろうそくや石鹸を家で作るのに時間をとられることもなくなっていた(産業革命が始まっていたのだ)。マダム・ボヴァリーにはるかに先駆けて、小説に紅涙をしぼる女たちが大量に出現していたことになる*3ジェーン・オースティン,ブロンテ姉妹からウルフまで、次代のイギリス文学にすぐれた女性作家が輩出したのは偶然ではない。さて、ここでまた例のごとく話が飛躍するのだけど、現在の文芸も過渡期であることは疑いがない。文芸はほぼ完全にマーケットにのみこまれており、かといって今更「選良たちの基準」(文壇的なもの)に従う状況に戻るわけにもいかない。だが問題は、多くの人間(少なくとも僕)は、もうそのような作品に満足できないでいるということだ。いずれ、新たな文芸の形式が「勃興」してくるのだろうが、それを支える社会的構造(制作−流通−受容のシステム)はどのようなものになるのだろうか? 新しい作品が、草創期の小説同様、奇妙で下劣な異物としてうけとられるだろうことは明らかだと思うのだが。

*1:ルカーチの『小説の理論』、だったっけ?

*2:イギリスの場合だといわゆるジェントリか

*3:これについては、ディドロがリチャードソン論で引用しているある女性の手紙がおもしろい。http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~itasaka/jugyou/bungaku10.htmlにアップされている手紙とそれについての説明を参照。