ガンジー主義の可能性

femmeletsさんの日記で紹介されている、ダグラス・ラミス鶴見俊輔の『グラウンド・ゼロからの出発?日本人にとってアメリカってなーに』(光文社)の一節。

ラミス この間、たまたまガンジーについての本を読んでいたんだけども、一九一九年、インドがまだ植民地の状態でも、政府があって憲法があって、そこにイギリスが有事法制法案を国会にかけるわけ。それはもちろん海外と戦争するんじゃなくて、インド国内の独立運動と戦う、弾圧するための有事法制です。
ガンジーは全国的な反対運動を計画する。いろんなことをやったのですが、その中心に、誓いの文章というのがある。その文章は、有事法制に対して、やめなさいでも反対のアピールでもなくて、この有事法制はインドにかろうじてある人権を守る政治をくつかえすので、国会で可決されても、私は守りませんと約束する文章なんです。
私は数ヶ月前、社民党に呼ばれて、有事法制反対の小さな集まりに行きました。有事法制に協力しない人は、懲役六ヶ月です。だから僕は反対運動として、「平和憲法のためなら私は懲役六ヶ月を選びます」というバッジをつくればいいと言った。ずうずうしく言ったわけです。
鶴見 それはいい考えだ。私はやるよ、それ。

鶴見 私が共産党に言っている、無関心派を叱るなと言っている。無関心のなかには法を守らない人が出てくる。「あっ、知りませんでした」と平気でその法を破るのが無関心派から出てくる。私はそれに期待をかけている。私は破る方。破るために、その前に「懲役六ヶ月を選びます」のバッジをつけることもある。この話は、私のなかでは、今日のハイライトだ。
ガンジー主義と言われるものは、穏健だから赤軍と違っていいじゃないかと言われるのは間違っている。ガンジーには根本的に頑固なものがあるんだ。そこを継がなくて何がガンジー主義だ。ガンジーは穏健主義だとずーっと書いてる。そんなことはないんだ。それでなきゃ何であんなに長いこと投獄されたのか、最後には殺されなきゃならなかったのか。