上野英信『追われゆく坑夫たち』

shiku2006-04-22

1960年出版の岩波新書。著者の上野英信については、現在雑誌『未来』で連載中の道場親信の「倉庫の精神史ーー未来社在庫僅少本で読む〈戦後〉」に詳しい。上野は京都大学支那文学科を中退後、炭坑に入って労働者として働く傍ら、炭坑労働者たちのルポルタージュを書き次いでいく。実際、ここに描かれる九州筑豊炭田の坑夫たち、あるいは不況で投げ出された元坑夫たちの生活状況はすさまじい。当時、石炭から石油へというエネルギー転換の流れの直撃を受けて、国内の炭坑は次々と閉鎖,操業縮小へと追い込まれていった。このことはかなり注目もされていたらしく、『追われゆく坑夫たち』が出るわずか六ヶ月前には、土門拳筑豊のこどもたちが出版されて大きな話題になっている*1。もちろんその背景には、1959年からはじまった「戦後最大の労働争議三井三池炭坑の争議がある。
しかし、上野がとりあげているのは、三池のような大炭坑ではなく、その周囲に散在している小規模経営の「小ヤマ」である。そこには大手のような相対的に安定した雇用関係、保障も無く、労働組合を組織することも難しい。また大手を組織している大炭坑労組が、小ヤマの坑夫たちにいかに冷淡か、ということも書かれている。中に付録として収録されている正田誠一の「日本の中小炭坑とその労働者たち」に次のような記述がある。

中小炭坑とは、ただ規模の小さい炭坑という意味ではない。また賃金や労働条件の低劣さに依存する経営という意味にとどまるものでもない。それは大手炭坑の独占鉱区の周辺を囲繞する補充的な鉱区のうえになりたち、また大手炭坑で老廃し、不具化した労働者を収容する機構である。下請制でつくり出される中小工業とちがって、大炭坑も中小炭坑も石炭という自然物を掘り出し、抽出するかぎり、またこれにとどまるかぎり、大手と中小は同質である。「危機」に逢着している石炭産業は、大手炭坑という支配機構と中小炭坑という補助機構からなりたっている。しかも図で見るように、10ヘクタール、20ヘクタール以下の小規模の補充的炭坑の出炭が50ヘクタール以上の支配的大炭坑のそれの二倍をしめ、ことに九州では四倍にたっする。厖大な補充機構に寄生する独占支配というべき仕組みになっている。

中小炭坑には、大手で働けなくなったもの、はじき出されたものがふきよせられてくる。彼らはすでに健康を破壊されていたり、不具になっていたりで他の産業に移ることも難しい。いや、それどころかこの本には、移動・引っ越しのための電車賃がないためのだけに、廃坑となったヤマに逼塞しながら、鉄クズなどをひろって操業再開を待ちのぞんでいる坑夫たちの姿がなんどもあらわれる。
こうした小炭坑の経営者は、納屋制、つまり近代的な契約関係に基づかない奴隷的労働制度のなかで、納屋頭などをやっていた人間の後身が多いという。だから納屋の暴力による労働強制がそのまま持ち込まれているわけだ。この辺の状況については、野坂昭如の「骨飢身峠死人葛」*2が、マジックリアリズム風の誇張を交えながらも、生々しく描き出していたと思う。
僕としては、大炭坑と小炭坑の格差についていくらかなりと知ることができたのが収穫だった。妻の祖父母がある大鉱山(炭坑ではない)の出身なのだが、東北の貧しい農村に育った祖父母にとって、鉱山は豊かで、情愛に満ちたコミュニティとして映っていたという話をしばしば聞いていたからだ。
さて、上野が描いたような炭坑はすでに日本国内に無い。しかし、しばしばニュースにとりあげられる中国の炭鉱事故をみていると、似たような状況がまだ続いているのではないかと思う。脆弱な保安体制のまま無理な増産を重ねる中小炭坑。上野のルポルタージュは、五十年前の一地方にとどまらない、普遍的な構造を示しているかもしれない。

*1:上野もあとがきの中で最近になって「あらゆる雑誌や新聞が屍にむらがる蠅のように「黒い飢餓の谷間」に集中した」と皮肉っている。

*2:なんと読むのだったか。「ホネガラミトウゲシビトクズ」?