松本清張『二・二六事件』

(昨日のつづき)
松本清張二・二六事件』を数日前に読んだ。もともと「昭和史発掘」として週刊誌に連載されたうち、後半部のみを独立させたものだが、それでも全三冊、厚さにして15センチに及ぼうかという大著になっている。
二二六について書かれたものは膨大にあるだろう。しかし、この著作以上に詳細なものは少ないのでないかと思う。清張は無数の資料を自在に駆使して、事件の発端から結末まで、厖大な関係者たちがどのように行為したのかを跡づけている。それは、清張作品の刑事の丹念な捜査を思わせもするものだ。
読んでいて改めて思ったのは、戦前の日本の天皇という権力の奇怪さだった。一般に、昭和天皇は「天皇機関説」論者であり、じっさいそのようにふるまったとされる。つまり、直接政治に干渉することを極力避け、またそのことが戦争責任を免れるための有力な根拠となった。天皇は既定の方針を了承するだけであり、具体的な決定権は持たないというわけだ。
だがこの機関説が当時の右翼・軍部の執拗な攻撃対象であったことから明らかな通り、こうした天皇の態度は必ずしも普遍的に共有されているものではなかった。もはやこの時点では、天皇本人が機関説に基づいてふるまおうとも、周囲は必ずしもそれを前提にしていない。ここに、天皇の役割のあいまいさがある。
さらに、問題なのは、機関説は天皇の意志と無関係に、あるいは意志に反してさえ、政治が行われるという意味ではない、ということだ。なにしろ憲法の規定にあるとおり、天皇は日本の主権者である。周囲が政治的決断を行うにしても、それは天皇の意志に合致しなければならない。その意味で、機関説に基づいても天皇はただの儀礼的な君主、政治的に無力な象徴というわけではない。通常の立憲君主制とは大きく違うのだ。天皇は直接政治的な指示は与えないかもしれない。しかし軍部、重臣、内閣といった政治勢力は、自分の判断で決断を行う自由を持たない。彼らは、いわば天皇の意図を憶測して決定をくだす。どうやら天皇の「お気に召さない」らしいとなったら、たちまちその決定は潰えてしまう。ここから、日本の権力の中枢には巨大な真空が広がっているといった印象が生まれる。実際の権力者たち(軍部など)にできるのは、天皇の意図を先取りすると称することだけだ。肝心の中枢からはときおり曖昧なサインが送られてくるだけである。もし、天皇からはっきり否定されなければ、その決定は文字通り天皇の意志として絶対的な権威を持つ。逆に、否定されれば、大なり小なり権力の変動が起きる。つまりここでは、強大な権力が存在しているにもかかわらず、責任を負う最終的な決定者がいないのだ。ここから、丸山真男のいう「無責任の体系」が始まるのはいうまでもない。
天皇というスクリーンにはあらゆる政治的欲望を投影することが可能になる。戦前期の日本では、一度はこのスクリーンに投影されなければ、何ものも政治的権力としての権威を得ることができないといっていい。限りなく空白に近いがために、このスクリーンはどのように放恣な政治的構想力も受け入れるかに幻想される。だからこそ、青年将校たちは、自分たちの「革命」でさえ、天皇の意志であると信じることができた。実際にはそのようなことはありえなかったのだが。
将校たちが決起したとき起きたのは、将校たちと軍の幹部のふたつの思惑が、それぞれ天皇に認められず潰えるという事態だった。軍の叛乱が天皇の不興をかったのは当然だろう。二・二六がクーデターとして不完全なのは、それがもともとどのような権力の樹立も望んでいなかったからだ。将校たちの願いは、「君側の奸」を斬り「国体」を明徴すること、すなわち天皇権力を純粋な形で再生することだった。もちろん天皇権力にとってかわる意図など持つはずもない。彼らは既成の権力機構を麻痺させただけで、自身ではどのような決定も、機構の形成も行っていない。当然このようなクーデターが成功するはずもない。
後者の場合は、もう少し微妙な、しかし日本の政治史でしばしば起きたことだ。事件が起きたとき、時の権力者であった軍部皇道派の幹部は、自分たちの出世のために、クーデターを利用しようとした。彼らは将校たちの行為が、むしろ愛国の情に基づくものだとして、肯定的に決着させようとした。しかしその意図は、天皇の不興にあってもろくも崩れさる。彼らが天皇の意図が奈辺にあるかを察して、あわてて将校たちと距離をおこうとする辺りの描写が、本書の読みどころのひとつだと思う。
二二六は、昭和天皇が機関説の枠を踏み越えて、政治的方針を示してまれな事例のひとつだとされている。しかしそれでさえ、天皇は叛乱弾圧というおおまかな方針を示しただけであり、具体的な指示といえるかどうかは曖昧だ。この経過を見ていて印象的なのは、天皇権力が空白でありつつもどれほど巨大な力を持ちうるかである。天皇の態度、顔色といったものだけでがらりと流れがかわってしまう。
青年将校たちは、天皇というスクリーンに自分たちの勝手な夢想(昭和維新)を投射した。彼らは、天皇の意志と称して私欲をはかる(とみなした)連中、重臣,政治家などを排除しようとした。しかし、天皇制権力は、中央の空白とそれをとりまく権力機構との関係にあると見なければならない。天皇自身は、なにものも決定しないからだ。