本多秋五「蔵原惟人論」

プロレタリア芸術運動が、むしろ芸術上のアヴァン・ギャルドに源流を持つ、という本多の説。確かに考えてみる必要はあると思える。

プロレタリア芸術運動は、その担当者からいうも、その内容からいうも、プチブルインテリゲンチャの革命的芸術運動だった、と考えるのが正しいのではないだろうか? 勿論、プロレタリアートの芸術的発声という点で、この運動が強く一線を画するものであったことに疑いはない。だが、日本におけるプロレタリア芸術運動は、第一次世界大戦のあと、ヨーロッパにおこった未来派、表現派、ダダ、シュール・リアリズム、構成派等の、いわゆるアヴァン・ギャルドの芸術運動により多く類似するものに思われる。このことは、蔵原惟人、村山知義等の初期の仕事、その他、林房雄、鹿地亘等、いわゆる「マル芸」出身の人々など、この運動に指導的役割を果たした人々の芸術的閲歴を調べてみることによっても、傍証されそうに思われる。この運動は、日本におけるアヴァン・ギャルド運動の尤なるものであったと考える時、多くの疑義が氷解するだろう。日本において、アヴァン・ギャルドの運動が、プロレタリア芸術運動によって事実上統一されたという事情は、日本の後進性によって説明されそうに思える。(昭和二二年三月)

  • ソビエトおよび、ヨーロッパ、アメリカとの比較。ソビエトの場合、公式の「プロレタリア文化」が革命以降の官製のものだったということがある。日本はそれをモデルとするが、その体制的性格が、反体制運動にもちこまれるという皮肉が生まれる?
  • ヨーロッパの「具象への回帰」や、アメリカの壁画運動などは? 前衛を通過したあとでの社会運動。アメリカの場合、ニュー・ディールとの関連が問題になる。芸術をサロン的なもの、あるいはその裏腹の反ブルジョア趣味から解放し、大衆=国民=社会への対応を促すという点では、世界的な潮流と一致している。「芸術大衆化」の問題。つまり、芸術を社会的統合=啓蒙のための社会的機能としてとらえること。
  • リアリティの複数性、近代的人間の「解体」、芸術の「広告」性、メディア性への注目というのが、アヴァン・ギャルド以降であるというのは正しい。その意味で、未来派は重要かもしれない。
  • 日本の場合、ダダが「未来派」と呼ばれて受容される。
  • 日本でなぜ政治運動が文化運動を随伴する必要があったのかという根本的な問題に関しては、本多は次の示唆をしている。

革命は近きにあり、という予感を前提とし、共産党が非合法下におしこめられていた事実を考慮に入れるとき、大衆の面前でゆるされた狭い合法活動の舞台として、芸術が不可避に政治を代行せざるをえなかった事情(略)当時においては、政治は単なる政治などではなかった。非合法のものとして、それは白昼その名を呼ぶことさえ許されなかった。それだけに「政治」は一切の悪から浄められ、万能と至福を約束する無上の理想を意味していた。したがって、「政治」は文学精神そのものが真直に通じて不思議ではない、或るものを意味していたのである。

  • つまり、プロ文演劇説。確かに、プロ文の議論がほとんど代行/表象の問題圏にあるのは事実だ。彼らの文学理論などほとんどそれしか論じていない。
  • ところで、私小説批判のモードは、プロレタリア文学インパクトを受けて(小林らによって)成立する。(私小説概念が結晶するのもこの時期かもしれないが)。小林のドストエフスキーへの関心も、最初はこの作家に「私小説問題の一番豊富な場所がある」(昭和8年12月)というところからはじまっていることに注意。私小説が批判されなければならないのも、それが適切な「代行機能」を果していないからだろう。分析判断にとどまって総合判断たりえていない、というか。
  • 私小説批判で繰り返されるのは、「彼らは真剣に自分の自我を追求したかもしれないが、それが社会(大衆)にとってどうでもいいことだとは気づかなかった」という物言いだ。つまり、ここでも大衆の関心を代行することが求められている。
  • 蟹工船」の演劇性(映画)。ブレヒトをひくまでもなく? 築地小劇場が重要か。いずれにせよ、演劇モデルが浸透しているのかもしれない。「タイプ」の理論とか。
  • 日本の場合、「リアリズム」の持つ再現性(上演性)と現前性の両面がうまく腑分けされていない。ブレヒトと比較せよ。蔵原の「概括」という理論が苦闘しているが。
  • 社会主義リアリズム」いわゆる「世界観抜きのリアリズム」への批判というのは、結局上演性が確保されていない、ということ。ベタな現実、たまたま目に留まった情痴やら何やらの直写になってしまっていると。
  • 社会主義リアリズム論争のポイントは社会主義的と革命的との争点にしぼることができる」(平野p161)