大正と昭和

中村光夫佐藤春夫論」(「昭和十年前後」より再引用)

和文学の大正のそれとのちがひは、一口に言へば、作家が自分の個性を絶対視できた時代がすぎ去って、彼の表現がいつも他者を意識しなくてはならなくなったことです。この他者は作家にとって二つの形で現れます。ひとつは大衆文学の勃興と、作家の新聞小説執筆の一般化による、文壇小説の読者以外の、読者の大衆であり、いまひとつは、プロレタリア文学の進出にともなふ、『社会』の思想でした。この二つは始めは、互にまつたく脈絡のない事象のやうにみえますが、畢竟するところは文学の社会化といふ大きな現象の二面であり、この事実と観念といふ、ともに文学に外在化する形で表れてきた強い要求を、作家がいかに内面に消化するかが昭和文学の中心をなす精神の劇であり、その解決は現在もまだついていないのです。

>このあたりの機微は横光を見ればよくわかる、ということですよね。
ただし、むしろプロレタリア文学の進出の結果ではなく、プロ文自体が「いつも他者を意識しなくてはならなくなった」結果だと考えたい。