柳と保田、土門

  • 一九三九年暮れに、柳宗悦は沖縄に旅行する際に、一門のほか、保田與重郎土門拳を引き連れている。民藝運動と土門のあいだにどういうつながりがあったのかはよくわからない。数年前の土門は人民文庫にも出入りしていた。
  • 案の定というべきか、保田は「現代日本文化と民藝」という評論で、自分が高等学校時代「工芸の道」を読んで感激したのが、はじめて文章のようなものを書いた始めだったと告白しているらしい。が、その後保田は柳とは微妙に距離をとる。戦後の『日本の美術史』では、「柳宗悦氏の民芸運動は、大正昭和の芸文上、柳田國男氏の民俗学と並んで、最も大切な思想上の出来事だった」にもかかわらず「これほど早く堕落した芸術上の運動も数少ない」と書いている。柳自身は保田にさしたる関心を示していない様子。伊藤徹『柳宗悦 手としての人間』第四章に大まかなアウトライン。