民芸と時代性

一般に柳は大正的な思想家と目されがち(実際そうなのだが)にしても、民芸というコンセプトが明確化され展開されていくのは昭和期である。「下手ものの美」が1926年、「工芸の道」連載が27年から。
伊藤徹『柳宗悦 手としての人間』p178

東大安田講堂の設計者・岸田日出刀が、建築上のモダニズムの勃興を告げる著書『過去の構成』を世に出すのは、『工芸の道』出版の翌年一九二九年のことだったし、タウトが来日した一九三三年といえば、柳が各地で民芸展を開くなど、翌年の協会設立に向けて民芸運動を展開していた、まさにその頃にあたる。そういえばアール・ヌーヴォー風の陶磁器によって、明治から大正にかけての工芸界の象徴的存在となっていた板谷波山が、装飾性を控えめにして「モダニズム」に移っていくのも、やはりこの時代だ。要するに民芸運動の時代は、個の解体の時代であると同時に、機能重視の時代、美が必要のなかに求められる時代だったのであり、柳のいう「用即美」は、まさに時代精神の表現であったわけである。