私は死んだ日を忘れていたい

田中純の論考(「「英霊」の政治神学」InterCommunication55)を読んでいて、非常に印象的な表現にであった。田中純橋川文三の本の中から引用しているもので、『きけわだつみのこえ』に収録されている遺書の一部である。(橋川文三テロリズム信仰の精神史」。橋川の文章を読みたくてしかたがないが、ここでは手に入りそうにない。)「私の仏前及び墓前には、従来の供花よりもダリヤやチューリップなどの華やかな造花を供えて下さい。これは私の心を象徴するものであり、死後は殊に華やかに明るくやって行きたいと思います。……そして私一人の希望としては、私の死んだ日よりは、寧ろ私の誕生日である四月九日を祝ってほしいと思います。私は死んだ日を忘れていたい。我々の記憶に残るものは、唯、私の生まれた日であって欲しいと思います」(木村久夫遺書)。もちろんこの奇妙な感覚は、発話主体の位置が死後へと転位されているとこからくる。遺書という特殊なテクストの機能に従って──遺書は主体が消滅したのちにはじめて発話を開始する──主体はどことも知れぬ場所から語りかける。それなら発話者は、ダリヤやチューリップという依り代に憑いたまま、永劫に中有をさまよいつづけるのだろうか。なぜなら彼は、自分の死の瞬間、テクストが効力を持ちはじめる転換点こそを忘却せよと命ずるからだ。彼は自分が死という事実を抑圧する。けれども、あらゆる非業の死を遂げた怨霊たちが望むのは、自分の死こそが記憶され、悼まれつづけることではなかったのか。ここで死者を主体の記憶の一種として、そして亡霊を記憶に包括できないかたちで顕れる過去だと考えてみよう。亡霊は、<私>の知覚の一部であるにかかわらず――知覚に依存しない亡霊はありえず、純粋に知覚以外に証明をもたないので、他者と共有することができない――知覚のフレーム内部のコンテクストと摩擦する。この本来的なコンテクストから切り離され、他のコンテクストに移植された表象・発話という観点から、亡霊を複製技術、ないし通信技術になぞらえることができるだろう(両者のどちらをとるかは知覚の「向こう側」を認めるかどうかにかかっている)。例えば中井悠は、デリダの読解の中で、「<話すこと>と<聞くこと>との一見閉鎖的なループのあいだに蓄音機が入っていて」「原初的な蓄音機なくしてはいかなる主体もそもそも確保されない」*1という。この言い回しを借りるなら、亡霊はグラモフォンの誤作動の効果、主体構成の失敗が生み出した場違いな過去の反復だといえる。つまりそれは録音済の痕跡が、過去と現在、生者と死者といった正当な文脈を生成しないまま、勝手に鳴り出してしまうという現象であり、「などてすめらぎは人となりたまいし」などと古びたレコードを廻して見せた三島由紀夫などは、安手のお化け屋敷の細工士に過ぎない。しかしあらゆる複製技術(デリダの考えに従うなら、言葉こそが最大の複製技術だということになろうが)はいわば亡霊的なのであり、おどろくべきは、どのような複製(時間と空間のズレ)も吸収して揺らぎもしない私たちの経験の柔軟性ということになる。さてここまできて、「私は死んだ日を忘れていたい」という言葉がもたらす戸惑いの理由も明らかになる。彼の発話の事実(彼は間近な死に臨んでいる)、発話の場所(彼はすでに死後から語っている)、そして両者の差異を消去しようとする意志(「死んだ日を忘れていたい」)が次々に打ち消すように折り重ねられていくことで、この言葉は奇妙な感覚をもたらすのだった。自分を死に追いやった世界を撹乱するためのささやかなトリック? だが、では私たちの現在はどのような発話によって支えられているのか。私が「生きて」いることを保証するのは誰か?