「ポスト〈東アジア〉という視座」より

shiku2006-04-14

孫歌、白永端、陳光興編『ポスト〈東アジア〉』所収の三人の対談より、印象的なところをピックアップ。

孫歌 正直に言うと、東アジア問題を語るとき、中国をその中に完全な形で放り込むことはできないのです。中国東部の漢民族による儒教地区だけが東アジアに帰属しうる。しかし、チベット・新彊は文化的に西アジアに属するはずです。
日本の板垣雄三先生は、ご自分で地図を作られ、その中で中国を、儒教イスラム教・仏教など幾つかの区域にわけています。そしてこうおっしゃるのです。「見てください、まだ中国はありますか?」と。この考え方は興味深いものです。というのもそれは、あるただ一つの文化的背景をとりあげ、中国を代表させることはできないという問題を暗示しているからです。
また、これに関連して、〈東アジア〉という提出の仕方を提示するのは誰か? よく考えてみると〈東アジア〉というふうに論を提示するのは、日本や韓国なのです。

日本人は、自分たちが東アジアに所属しているために、中国も同様だと単純に思い込んでしまう。だがそれは、中国を東側からしか見ていないことを意味する。けれど実際には、中国という国土の広がりは「東アジア」の範疇からはみだしてしまうのだ。
これは先行する清王朝の成り立ちに由来するだろう。北方の女真族出身の清の皇帝は、漢民族の支配者であると同時に、北方から西方のステップに居住する遊牧諸民族の盟主でもあった。清は、中華文明(儒教文化圏)の継承者と遊牧民族の王朝というふたつの性格を持つ二重帝国だったのであり、そのことが、儒教文化圏の領域を超える空間の支配を正統化した(似たような性格を持つのが元王朝である)。そこでは異なる文化に起源を持つ二つの支配理念が重ねあわされている。そして、中華人民共和国はこの清の巨大な版図を受け継いだ。このあたりのことについては 石橋崇雄の講談社選書メチエ『大清帝国 』が詳しい。僕たちは、一般に中国を中華文明との関連でのみとらえている。それは日本にとって伝統的に大陸が中華文明の発信地だったからだろう。だがそれは中国の一部に過ぎない。
だが一方で、現代中国を、多民族多文化のモザイクであるとして、その不均質性ばかりを強調するのも誤解を招くように思う。もしもその一面だけを見るならば、最近しばしば反中派に見られる、今にも中国が崩壊する可能性があるような議論にもつながりかねないからだ。現実には中国国内における「民族」の位置はもっと微妙なように思うし、文化的差異といったものも一筋縄では行かない。このあたりがいつも自分のような日本人には掴みづらいとこだよなと思うのだが、日本における「在日」との類推で中国の少数民族をイメージするならば、まちがいなく失敗するだろう。清も含め、曲がりなりにも四百年近く中国は多民族国家を形成してきたわけで、ここであらためて、中国という「国民国家」の特殊性という問題が浮上すると思う。
中国国内の少数民族の状況については、たとえば玄武岩「越境する周辺 中国延辺朝鮮族自治州におけるエスニック空間の再編」(『現代思想』2001.3)といった資料からもその一端を伺うことはできる。数、文化、経済力などで漢族が突出する状況の中で、少数民族が相対的に弱者の位置におかれ、資本化・商品化の進展する社会で苦境にたたされがちだ、という話も聞く。中国には公認されているだけで56の民族があり、少数民族には教育,出産などの面で優遇措置がとられている(だから、漢族と少数民族のあいだの子は、あえて少数民族への帰属を選ぶことも多いという)。もともと共和国建国後、全国規模の調査によってこの民族の認定・帰属といったものが行われたのだが、当然のことながらこれは微妙な問題を含む*1。ある人間集団を、特定のエスニシティーに帰属させるとして、ではその境界をどこに決定するかという問題が生じる。あるいは、他の集団とのエスニシティー上の同一性と差異をどうはかるかも問題になる。民族というのは当然一カ所に住んでいるわけでもないし、たとえばAの言葉がBの方言なのか、それとも異なる言葉なのかは容易に決めがたい。つまるところ、この認定・帰属にはどうしても恣意性がつきまとう。この当初からの曖昧さに、状況の流動性も加わって、エスニック・アイデンティティはたえず揺らぎつづけている、というのが実状ではないだろうか。

*1:このあたりのことは、民族問題に詳しい同僚のO先生からの聞きかじり