中国、八十年代の思想風潮

賀照田は、自分の知的な歩みをふりかえってこう述べている。

私自身の見聞からいうと、八〇年代中期以降、中国革命と社会主義の実践を否定する空気が、少なくとも北京の大学界では主流を占めた。しかしその空気は、革命と社会主義の歴史に対する精緻な分析にもとづくものではなく、意識的であれ無意識であれ、革命および社会主義が唱えた集団主義への反対を動力としていた。そのため、八〇年代に「五四精神への回帰」「人の発見」「人道主義」などが叫ばれたが、当事者たちの望んでいたものーー自己意識と権利意識を持ち強い社会的責任感を持った個人の類型ーーは生み出されなかった。
「中国革命とアジア論」

これについて、鈴木将久氏は、上の論考に応答してこう書く。

人道主義」流行の契機は、中国知識人が欧米の左翼理論に触れて、マルクスの思想にある人道主義的要素を再発見したことであった。その中国における意義を幾つか列挙すると、毛沢東時代の文化的鎖国から脱し中国思想界が最新の思想に直接触れることができるようになったこと、マルクスの思想を中国共産党の「正統」な解釈から解き放ち、自由な思考ができるようになったこと、なによりも文化大革命時代の非人道的行為を反省する理論的枠組みを獲得したことなどがある。(略)しかしながら、賀照田氏の認識によれば、欧米の理論が無前提にそのまま受容され、中国の社会主義の経験への否定ばかりがもてはやされたことは、後世に別の問題を残すことになった。すなわち、西洋理論への崇拝と、中国の歴史を善悪二分論で割り切る論述への問題である。
「「中国革命とアジア論」に寄せて」

なぜこの部分が気になったかというと、僕も学生と話していて、どうも「人道主義」的枠組みが彼らの基本的発想になっているのではないかと思う時があったからだ。もちろん、僕のつき合っている学生というのは、年長でも二十代半ばなので、直接八十年代の潮流にインパクトを受けたというより、それが一般化した段階で知的形成を遂げたということだろう。これには広州という土地柄もあるのではないかと疑っている。というのも、いち早く改革開放政策の恩恵を受けた、商業主義メンタリティのつよいこの土地では、「民主と自由」とそれに伴った経済的自由化への志向が顕著なように思われるからだ。いずれにせよ、小説について話していても、彼らはナイーヴなほど「人道主義」的だったりする。それを白樺派とからかうと、少し傷ついたような顔をするのだが(笑)、問題はヒューマニズムだけでは、中国近代の遺産をうまく消化できないことだ。一般に彼らには、自国の歴史についての経験がうまく継承されてないように感じることがある。「文化大革命」もそれ以前も、漠然とくらい時代という印象で、それ以上の知識をうまく持てていない。まあ、戦後の歴史の継承の失敗という点では、今の日本もまったく同じかもしれないのだけど。