橋川文三の「戦争責任を明治憲法から考える」(著作集5)を読んでいて、次のような箇所が印象に残った。橋川の子供時代の話、昭和8年のことだが、母親が皇太子生誕のニュースを聞いて、泣き笑いをしていたという。その映像を通して、彼の生活に天皇制が入ってきたというわけだ。その母親の心理を、彼は皇后への共感として解釈している。

おふくろ自身が、長いこと男の子がいなかったんです。ぼくが最初の男の子で、それまで二人は女でした。いまの皇后さんがやっぱり全部男の子で、側近連中がだいぶ心配しておった。皇后さんも、もしいつまでも男の子が生まれなかったら、おそらくつらい立場になる。それは庶民の母親としても非常によくわかることなんでしょう。最初にぼくが生まれたときのうれしさと安心感を思い起こして、それと同じ感情を皇后さんも持ったに違いないというふうに、庶民の女の直感で思い、泣いたり笑ったりしていたんだろうと思いますね。これはしかし、おふくろのまわりのおばさんとか、近所のおかみさん連中の感じ方もだいだいそうだったと思いますね。

もともと君主制の神秘が、ひとつの特権化された「血」が時代を超えて継承されることにある以上、再生産の領域(出産、代替わり、家族)は君主制の中核であるといえる。それはもっとも秘められていると同時に、直接に国民の感情・幻想と結びつく領域であるだろう。そのため、君主制はいつでもある種のファミリーロマンスとして現象することになる。王室への「敬愛」のような形をとるにせよ、あるいはワイドショー的なスキャンダルになるにせよ、それらは再生産領域への関心という意味で同じであり、いずれも、個人が家族や血族といった紐帯から逃れきることはできないという事実から、力を汲み上げている。
もともと立憲君主制における王族の特異性は、彼らが再生産領域にのみ特化された人間集団だという点にある。彼らは、明白な政治的権力を行使することはできないし、職業生活を第一義とする市民社会からも排除されている。彼らには再生産領域しかなく、血を継ぐことこそが彼らの存在理由となる。橋川の母親や「近所のおかみさん連中」が、皇后に強く感情移入するのも、再生産領域に閉じ込められているという点で、自分と皇族に同型性をみているからだといえる。
王室のスキャンダルというのは(日本でいえば「某宮中重大事件」など)、いつでもどこか性と血のにおいがする。これは、政治家など公人にまつわるスキャンダルが結局金と権力へと収斂していくのと対照的だ。公人が市民社会の原理に属し、その性的な問題などが私的領域へと隔離されるのに対し、王族は市民社会原理と接点を持たない。
しかし、このことが明瞭にあらわれるのは、天皇天皇機関説といういびつな立憲君主であった戦前以上に戦後だろう。おそらく59年の「皇太子ご成婚」を画期として、円滑に作動しはじめる戦後天皇制は、まさにこの再生産領域に特化し、国民を「象徴」する聖家族としての位置を確立した感がある。これは高度成長化で、国民生活が公的(市民社会的)領域と私的(再生産)領域に明瞭に切り分けられ、それぞれに男性と女性が割り振られたことに対応している。実際、戦後の天皇はむしろ「女性的」な存在なのではないか? 戦前は決してそうではなかった。
大日本帝国下の天皇制は、複数の原理の奇怪な融合体だったとおぼしい。橋川の母親が感受していた家族と継承にまつわる原理以外にも、祭祀を司る呪術王としての性格があり、そして何よりも国家と国民の統帥者、帝国陸海軍の元帥としての性格がある。最後に述べたものはいわゆる「国体」だが、これはほとんど神学的な超越性であるとともに、あくまで帝国憲法の規定から成長した近代的なものだ。前ニ者がいわば「自然」(フィジック)に配置されるものだとしたら、最後はあくまでメタフィジカルな原理である。例えば、二二六の将校たちが信じた国体の姿には、族長としての天皇、再生産にかかわる事柄は一切含まれていない。戦後の天皇制はこの国体原理を切り捨てることで延命したわけで、三島のいうように「すめらぎは人と成」ったのだ。
このあたりをていねいに区別していかないと、つまり、庶民が天皇一族に向けた自然な敬愛と、青年将校たち、あるいは日本浪漫派にイカれたような若き知識層がとらえていた天皇との違いなどを見ていかないと、戦前から戦後にわたる天皇制のありかたをうまく分析できないと思う。