2006-07-06から1日間の記事一覧

「労働の嫌悪」

蔵原惟人は「芸術的方法についての感想」1931,9,10)で、プロレタリア作家における執拗な「労働の嫌悪」について書いている。 これに関連して指摘しておかなければならないのは、日本のプロレタリア作家たちがほとんど人間の労働を描いていないということだ…

新人会

新人会世代で知的エリートの社会的自意識が変化しているということ だいたい、文学者や知識人というのが、ナンバースクール→帝大というほとんど同窓会的な集団になったのはいつからだろう。大正文士も帝大出身者が多いかもしれないが、明らかに立ち位置が違…

太宰と高見

2月28日のエントリーに、高見順の「嗚呼いやなことだ」が太宰治を連想させるという意味のことを書いたが、平野謙が「高見順の『故旧忘れ得べき』ころの作風と太宰治の『道化の華』ころの作風とが多少似ていたのは事実である」と書いているのに気づいたの…

大正と昭和

中村光夫「佐藤春夫論」(「昭和十年前後」より再引用) 昭和文学の大正のそれとのちがひは、一口に言へば、作家が自分の個性を絶対視できた時代がすぎ去って、彼の表現がいつも他者を意識しなくてはならなくなったことです。この他者は作家にとって二つの形…