太宰と高見

2月28日のエントリーに、高見順の「嗚呼いやなことだ」が太宰治を連想させるという意味のことを書いたが、平野謙が「高見順の『故旧忘れ得べき』ころの作風と太宰治の『道化の華』ころの作風とが多少似ていたのは事実である」と書いているのに気づいたのでメモ。(「昭和十年前後」p272)これは「人民文庫」と「日本浪漫派」が「転向という一本の木から出た枝」だという文脈で書かれている。