花田清輝の戦後批判(補足)

花田の、いわば斜めの位置からの左派批判は、二十世紀の戦争が世界戦争でもあったがために必然的にはらんでしまう仮象──すなわち、戦争という極点において全世界が同期する──を撃つものだったといえる。だが現在(脱冷戦期)にあきらかになったのは、日本人が想像する「戦後」という同質的な時空などどこにもなかったということである。東アジアの諸地域は、異なる歴史の鼓動を刻んできたのであり、戦後の日本の優越感を支えてきた階層構造(民主的で経済的に発展した日本)も、冷戦体制によって担保されたものに過ぎなかった。そして、革命を焦点とするという花田のパースペクティヴに従うなら、日本こそ未だ革命を経験していない「後進国」であるという観点さえ成り立つのかもしれない。しかしながら、花田が歴史が共産主義革命へ向かうという発展史観を共有していたとは思われない。
 花田の批判は、いわゆる「戦後民主主義」にも向けられていたと推測される。たとえば丸山真男の反安保運動への評価が、民主主義の定着(市民社会化)の観点からなされていたとするなら、花田は、民主主義がつねに一国的なナショナリズムと裏腹であることに気づいていた。