メモ

購書目録(ただし未定)

ここ三週間ばかりのあいだに、やはり読まねば、と思うようになってきた本を備忘としてメモ。実は先月給料分をこえる額を本につぎこんでしまったので*1、今は控えているのだった。いかにもつまらなそうな本も入っているので、日本だったら図書館に走ればすむ…

中野と蔵原

中野が「全体的主体としてのプロレタリアートこそが「主体」なのであって、党はその意志の「表現」である」(栗原)という考えをとっていたとすれば*1、蔵原は党のみが階級的主観を独占できるという前衛主義の立場に立っていた。この蔵原の考えは、(蔵原が…

「一者」の問題

栗原幸夫は福本イズムが24年からのわずか三年間でありながらも、圧倒的な影響力をふるった原因を、福本が、マルクス主義を「一つの全体性思想」として提示しえたことに求めている。福本をとおして日本の若い世代は、マルクス主義を、経済学でも知識の体系…

花田清輝の戦後批判(補足)

花田の、いわば斜めの位置からの左派批判は、二十世紀の戦争が世界戦争でもあったがために必然的にはらんでしまう仮象──すなわち、戦争という極点において全世界が同期する──を撃つものだったといえる。だが現在(脱冷戦期)にあきらかになったのは、日本人…

花田清輝の戦後批判

五十年代の左派ナショナリズムの昂揚に対して、独自の位置からの批判を行っていたのが花田清輝だった。それは二本共産党の公式コースからも、あるいは「近代文学派」などのリベラル知識人とも明らかに異なっている。彼は「現代史の時代区分」で、宮本百合子…