「一者」の問題

栗原幸夫は福本イズムが24年からのわずか三年間でありながらも、圧倒的な影響力をふるった原因を、福本が、マルクス主義を「一つの全体性思想」として提示しえたことに求めている。福本をとおして日本の若い世代は、マルクス主義を、経済学でも知識の体系でもなく、認識がそのまま実践へと移り行くような「世界観」としてとらえたのだということだ。「福本主義が日本マルクス主義にもたらした決定的な貢献は、それを単なる経済決定論人道主義社会主義の水準でとらえていた堺利彦や山川均や河上肇マルクス主義理解を批判・克服し,唯物論弁証法によって貫徹された一つの全体性思想として描き出したことである」。(『プロレタリア文学とその時代』p29)福本のマルクス理解が依拠した、ルカーチやコルシュといったワイマール期ドイツの理論は、もともと実証主義・議会主義と化した第二インターへの批判というモチーフを持っていた。そしてルカーチ同様、福本も、社会矛盾の集中するプロレタリアートの自己認識こそ、同時に全社会の客観的認識となると考える。福本はその出発点といえる「欧州に於ける無産者階級政党組織問題の歴史的発展」で、「ヘーゲル法哲学批判序説」の「理論は、それが、人間的に表明さるにいたって、大衆を把握する。そして理論はそれがラディカルとなるにいたって、人間的に表明される。ラディカルであるというのは,事物をその根本において理解することである。人間にとっての根本は、しかし、人間自体である」という言葉を引いている*1。つまり個々の主観を離れて「客観的認識」──静的な〈知〉、理論──があるのではなく、プロレタリアートという特権的な主体を通して(その実践を通じて)、社会の総体が認識され、組織されると主張する。このシェーマが、ほぼそのまま中野重治に受け継がれていることは明らかに思える。しかし、プロレタリア文学運動そのものが、プロレタリアートという集合的主体をいかに立ち上げるかという(さらにそこで芸術の役割とは何か)という問いを巡るものだったとことが強調されるべきだろう。栗原はいう。(福本は)「社会主義運動をたんに資本家対労働者という枠でとらえる立場を大きく乗りこえて、一切の抑圧にたいする一切の人民の反抗の問題としてとらえる見地を確立した。労働運動から全無産階級的政治闘争へという彼の主張の意義はここにあった」。(p39)そのため、人民は個別の存在者を超えた(抽象した)きわめて包括的な概念になる。学生をはじめ、直接資本家と敵対関係にないものでも人民となることが可能になる。抑圧があるところ、つねに人民が存在するのだ。*2人民内部の敵対性は、外部に排除される(人民の敵)。構成的権力、歴史の動因。この人民という集合的主体の根には、存在論的「一者」が広がっているということになるのではないか。*3柳宗悦

*1:この文の後半は、『歴史と階級意識』にもエピグラフとしてひかれている

*2:このロジックは、植民地ナショナリズムにも流用されたのではないか。

*3:しかし、マルチチュードもまた、グローバル化された人民でないといえるだろうか。その複数性、単独性が強調されるにしても