『監獄の誕生』

なにを今さら、といわれるのかもしれないが、フーコーの『監獄の誕生』を読み始めた。ドゥルーズの『フーコー』に促されてだった。『監獄の誕生』には、マルキ・ド・サドもかくやと思わんばかりの残酷な極刑描写(車裂き、腕の切断、死体の寸断etc.)がところどころに挟み込まれていて、フーコーはこうした資料を書き写しながら、自分自身の性的実践(SM)についてはどう考えていたのだろう、などと思ってしまう。
僕の関心は、ドゥルーズいうところの、<言表>と<可視的なもの>の関係にある。ドゥルーズフーコーが、このまったく異なる系列をなすふたつの領域を見出し、その相互交渉をとらえた思想家だと考えている。それは、たとえばこのようなものだ。

刑法は、違反を分類し、翻訳し、刑罰を計算する言語の一体制である。それは言表の<族>であり、また敷居なのである。ところが、監獄のほうはに関わっている。それは単に罪と罪人を見えるようにするだけでなく、それ自体ある種の可視性を構成し、石で作られた形態である前に光の体制なのである。
フーコー

刑法と監獄が、本来まったく別の系列に属するシステムであり、必然的な対応をもたない(つまり、「犯罪」という行為が先にあってその対処として監獄や刑法が作られるのではない)という考えは、すごく刺激的だが、かなりアクロバティックな議論にも思える。そのあたりをきちんとフーコーにあたって確かめたいわけだが。
そして、実はその先には日本の大正・昭和初期における「大衆」「労働者」といったものを巡る言説の発生のメカニズムを分析するための手がかりをつかみたいという切実な願いがある。「大衆」や「労働者」というのはある意味で言説によって彫りだされたものだ。もちろんそこには具体的な経済的社会的変動がある(これが<可視的なもの>にあたる)。しかしそれだけではない。たとえば、なぜ一時期のマルクス主義だけが、それに直接帰属する芸術運動を必要としたのだろうか、という問題がある。もちろんアナーキズムにも、あるいはブルジョア思想にだって<対応する>芸術思潮というものはいくらでもある。しかし、プロレタリア芸術はそれとは少し違っている。マルクス主義運動自体が巨大な言説運動――口ばかり、という意味ではない、さまざまな実践も含めてそうだったのだ――だったのだが、プロレタリア芸術は直接その言説運動の一分枝として積極的に自己を規定し、その言説内部で「プロレタリアート」という主体を編み上げることを機能とした。これは日本ばかりではない。しかしなぜその言説戦略のなかにフィクションが必要とされたのだろうか。まだ、どれほどの展望もないが、おいおい考えていきたいと思う。