2006-01-01から1年間の記事一覧

というわけで

しばらくプロ文がらみのエントリー(メモ)がつづく予定。ますます一般人の関心の彼方へ。

平野謙

前準備のつもりで、平野謙の『昭和十年前後』。 これがすごくおもしろい。まじでやばい、と思いつつ、しかし平野謙を本気でおもしろがっている自分の方がやばいだろう、と気づく。自分もついに(昭和文学)オタクになったかという気持ち。どちらかといえば、…

やれやれ

昨日の朝、ようやくずっとかかりきりだった原稿を送る。 しかし、あいかわらず枚数は超過で、編集部がなんというのかわからない。とにかく手を離れただけでよしとする。 そういうわけでほっとはしているのだけど、実はさっそく次の原稿の準備にかからなけれ…

[社会]労基法改正への動き──残業代が不必要に

m_naoki氏のブログを読んで知った情報。 2004年3月、内閣は「規制改革・民間開放推進3か年計画」においてアメリカのホワイトカラー・イグゼンプション制度を参考にした裁量性の高い業務についての適用除外方式の検討することを閣議決定した。厚生労働省は、2…

[雑]おしっこ

ここ二週間ほどある論文にかかりきりですっかり更新が遠のいてしまった。 いや、まだ終わってないのです。規定30枚なのに、すでに40枚超えてるし。やば。 ところで、今日大手スーパー、カルフールのレジに並んでいたら、足元にしぶきが。 ふりかえると、…

[雑]桂林旅行 9、10、11と同僚の先生方と広西チワン族自治区の桂林へ旅行。飛行機で桂林に入り、船で河を下って陽朔という街に入り、翌日またバスで桂林に帰るというコースだった。圧巻はなんといっても河下りで、山水画のようなというといかにも平凡だ…

亀井勝一郎の歴史意識

亀井「現代歴史家への疑問」を読んでいて思ったことをメモ。 ○「皇国史観」と「唯物史観」(というかある種のマルクス主義的な歴史記述の方法)が、「典型的人物」に依拠している点で相似しているという指摘。 ○しかし、亀井は「典型的人物」という考え方自…

『トンマッコルへようこそ』

パク・クァンヒョン監督の韓国映画『トンマッコルへようこそ』が結構おもしろかった。パッケージにはハングルしか書かれていなくて全く内容が分からなかったのだが、ジャケ買いで選んだのが良かったと思う。2005年の韓国の大ヒット作だということは後でわか…

「神道」は日本の文化の中核ってさ

すっかり更新の間があいてしまった。久しぶりに「日記を書く」画面を開いてみたら、なにやらはてなのフォーマットがかわっているし。 リハビリのつもりで軽い話題。 卒論の口頭試問の会場を覗いてみる。別段出る義務はなかったので野次馬のつもりだったのだ…

「国体」という観念

(昨日のつづき) 「国体」というものが、大きくいえばこの天皇制権力のきわまりなき無窮性・国民の生の空間すべてを包摂するまでの全体性を指示するものだったとしても、ではこの言葉が正確に何を意味するのか、を明瞭に述べることができたものはまれだろう…

松本清張『二・二六事件』

(昨日のつづき) 松本清張『二・二六事件』を数日前に読んだ。もともと「昭和史発掘」として週刊誌に連載されたうち、後半部のみを独立させたものだが、それでも全三冊、厚さにして15センチに及ぼうかという大著になっている。 二二六について書かれたも…

橋川文三の「戦争責任を明治憲法から考える」(著作集5)を読んでいて、次のような箇所が印象に残った。橋川の子供時代の話、昭和8年のことだが、母親が皇太子生誕のニュースを聞いて、泣き笑いをしていたという。その映像を通して、彼の生活に天皇制が入…

「私の神経症性」

斎藤環の本をぱらぱらと読んでいて、最近の作品では、作中人物が自分が虚構であることを意識するようになった、という意味の文章にぶつかって思わずうなずいてしまった。今読み返すと、斎藤は小説のことだけ考えているわけではなく、「ほとんどのジャンルで…

北京の印象

5日間北京を訪れて、あちこちをぶらぶらしてきた。友人のSさんの家に泊めていただき、Sさんの知人の若い研究者に紹介してもらったり、Sさんの先生に街を案内してもらったり、毎晩遅くまでSさんにいろいろと話を聞かせてもらったり、彼には本当に感謝するし…

ゴールデンウイーク

明日より、五日ほど北京に旅行するので、ブログの更新はお休みします。初めての北京で、いろいろと中国についての情報を仕入れてきたいと思います。

「たけくらべ」その他

樋口一葉「たけくらべ」「十三夜」、国木田独歩「竹の木戸」「富岡先生」、前田愛「こどもたちの時間」「街の声」などをぱらぱらと。一見似たような印象で受けとられがちな一葉の文体が、じつはそれぞれかなり異なった感触を持っていることがわかった。よく…

総力戦体制とシステムの支配

1959年に筑摩から出版された『近代日本思想史講座』の第一巻を読む。家永三郎を責任者として、鶴見俊輔、猪野謙二、橋川文三などが分担して執筆している(前書きは竹内好が書いている)。一番おもしろかったのは、藤田省三による第三編第三章「天皇制のファ…

『姿三四郎』『楊貴妃』

黒澤明のデビュー作『姿三四郎』。1943年の作品だが、当時の時代の雰囲気を感じさせるようなものは微塵もない。黒澤のすべての作品の中でも、もっとも明るくのびやかなもののひとつではないだろうか。国策にそわない部分をスタッフが関知せぬまま削られ、戦…

上野英信『追われゆく坑夫たち』

1960年出版の岩波新書。著者の上野英信については、現在雑誌『未来』で連載中の道場親信の「倉庫の精神史ーー未来社在庫僅少本で読む〈戦後〉」に詳しい。上野は京都大学支那文学科を中退後、炭坑に入って労働者として働く傍ら、炭坑労働者たちのルポルター…

カントと「心身問題」

カントを、主客二元論者としてみることは誤りだと思う。たとえば、彼はいわゆる「心身問題」を問題ではないと一蹴する。「心身問題」というのは、私たちの精神と、身体との構造的な対応、つまり、自分が手を挙げようと思ったときに、どうして手が挙がるのか…

『監獄の誕生』

なにを今さら、といわれるのかもしれないが、フーコーの『監獄の誕生』を読み始めた。ドゥルーズの『フーコー』に促されてだった。『監獄の誕生』には、マルキ・ド・サドもかくやと思わんばかりの残酷な極刑描写(車裂き、腕の切断、死体の寸断etc.)がとこ…

システムと多様性

松永正義氏の語録をもうひとつ。今度は「台湾から見た中国ナショナリズム」(『現代思想』2001.3)より。 松永氏は、まず中国の多元性を強調する。民族、言語(これは漢民族のなかでの言語の違いを含む)、文化、遺伝子レベルまで、中国社会はきわめて多様性…

民衆のいないナショナリズム

松永正義「日本における台湾研究の歴史的位置」(『ポスト〈東アジア〉』)より。 七〇年代は高度経済成長の時期で、それにともなって台湾の社会構造が大きく変化する。農業の占める割合が減って、サービス産業が増え、中産階級がふくらんでくる。そうすると…

まったく、同感です。

溝口雄三「日本人にとって中国研究とは何だったのか?」 日本人の多くが中国の「体制」をほとんど日本の空間意識で、感覚していますね。中国では「体制」が隙間だらけで、官僚個人の権限領域つまり「人治」の問題とみなしうることを、日本流の組織的な体制感…

中国、八十年代の思想風潮

賀照田は、自分の知的な歩みをふりかえってこう述べている。 私自身の見聞からいうと、八〇年代中期以降、中国革命と社会主義の実践を否定する空気が、少なくとも北京の大学界では主流を占めた。しかしその空気は、革命と社会主義の歴史に対する精緻な分析に…

韓国の「民族主義」

同じく、「ポスト〈東アジア〉という視座」より、陳光興の発言。この台湾の批評家は、韓国のナショナリズムが東アジアでもっとも強烈なものであり、そこにはマッチョな体質や父権制などがみられると留保した後でこういう。 韓民族が民主を堅持していること、…

「ポスト〈東アジア〉という視座」より

孫歌、白永端、陳光興編『ポスト〈東アジア〉』所収の三人の対談より、印象的なところをピックアップ。 孫歌 正直に言うと、東アジア問題を語るとき、中国をその中に完全な形で放り込むことはできないのです。中国東部の漢民族による儒教地区だけが東アジア…

アメリカの院生組合 NYUの場合

4月3日のエントリーで書いたように、今NYU(ニューヨーク大で、ティーチング・アシスタント(TA)やリサーチ・アシスタント(RA)の院生たちによるストライキがつづいている。エントリーやコメントを書きながら、日本でこのようなことが起きない理由は何な…

非常感謝!!

建築史家中谷礼仁さんのアセテート編集者日記と、在米美術家池田孔一さんの日記童話/日記でこのGuangzhou Lettersを紹介してくださっているらしい。謝謝! 「らしい」、というのは、なぜかここ数日、うちからアセテートの日記が開けないから。今の宿舎はネッ…

『純粋理性批判』4.1

『純粋理性批判』第一版の「先験的方法論」(岩波文庫では付録2)は、〈私〉=主体に関する四つの誤謬推理を扱っている。その第二の誤謬推理は、〈私〉は「単純」なもの、つまりバラバラの断片ではなく、ひとつの統合された全体であるという観念を巡るもの…